2006年03月29日

トラウマ・プレート─アダム・ジョンソン(金原瑞人・大谷真弓訳)

トラウマ・プレートトラウマ・プレート
アダム・ジョンソン 金原 瑞人 大谷 真弓


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ウルティマ、ぼくに大地の教えを豚の死なない日など、金原瑞人氏の翻訳は、自然な日本語なので大好きです。ということで『トラウマ・プレート』。アメリカの若手作家で、2002年のデビュー短編集。全部で9編の小説が収められています。

15歳で警察の狙撃手を務める少年の初恋物語「ティーン・スナイパー」。警察を辞め動物園の警備員になった男が暴力的で手に負えなくなってきた9歳の息子をもう一度自分の目の届くところに取り戻そうとあがく「みんなの裏庭」。末期癌患者の娯楽自助グループの貸し切りバスを運転する青年の、ある夜の物語「夜の衛星カッシーニ」。さびれた防弾チョッキ屋を営む3人家族が心に抱く孤独を描いた「トラウマ・プレート」。死んでしまったかもしれない父親の影を引きずり、人生に馴染めない青年の物語「アカプルコの断崖の神様」。違法行為で生計を立ててきたことで捜索を受けることになった家の一人娘の静かな苦悩を描いた「大酒飲みのベルリン」。大人の世界の不条理を少しずつ理解し始めた少年の物語「ガンの進行過程」。カナダでひそかに殺人兵器研究を行っていたチームが人を月面に送り、大失敗に終わった経緯をつづった「カナダノート」。海軍を辞めて出て行った父親の悲しみに、共感をおぼえはじめる息子のはなし「八番目の海」

どの短編も意表を突いたストーリー展開でぐぐっと引きつけておいて、じわじわと考えさせられます。著者の2作目となる長編「Parasites Like Us」は、「カナダ・ノート」をダイナミックに展開したような物語なのだそう。読みたい。金原さん、翻訳してください。

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2006年03月15日

国家の品格─藤原正彦

国家の品格国家の品格
藤原 正彦


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「『国家の品格』が100万部 最速記録と新潮社」(北海道新聞 2006/3/13)というニュースが出ていましたが、テレビで取り上げられることも多く、関西のよみうりテレビ「たかじんの そこまで言って委員会」で、著者の藤原さんがインタビューにちょっと登場したりもしていました。そのインタビューを見て、読んでみたくなり購入。


欧米の「合理と論理」にすっかり精神を骨抜きにされてしまった日本人は、武士道精神に基づく教育によって「情緒」「」を身につけ、国家の「品格」を取り戻すべし──。というのがこの本の主張です。とても分かりやすいたとえと言葉で説明されていて、ところどころに著者の主観に基づくユーモアと皮肉がちりばめられています。たとえば共産主義の「貧富の差のない平等・公平・幸せな社会」になるはずの論理について「美しすぎて眩暈をおこしそうな論理です」。訪ねてきたスタンフォード大の教授に、外から聞こえる虫の声を「あのノイズはなんだ」と質問され、「『なんでこんな奴らに戦争で負けたんだろう』と思った」。小気味良くてぷぷっと笑ってしまいます。


数学者だけあって、「論理を追求しても問題は解決しない」ことの理由を、論理立てて説明しているところも面白い。でも確かに、ある問題を解決しよう、よりよくしようと考え出された論理は、その出発点が提起者の情や主観によって決まります。その出発点が間違っていれば、そのあとの証明がいくら正しくても意味がない。ごもっとも。


古いタイプの人間で、頭コチコチ頑固オヤヂの父。「子どもは犬猫と同じ。理屈が分からないうちは、してはいけないことを殴ってでも分からせるのが親の役目」という、かなり乱暴な持論の持ち主で、これを「子ども家畜論」なんて称しています。その父も、きっとこの本を読んで溜飲を下げたことでしょう。ホッケでもつつきながら、居酒屋で一緒に飲んでみたいと思ってしまいました。
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2006年03月14日

他人を見下す若者たち─速水敏彦

「『オレはやるぜ……』『何を?』『何かを。』」という帯の漫画に笑ってしまって、読むことにしました。

現代の日本人、特に若い世代に、他者を蔑み優越感を覚えることで自分を有能と思い込む人が増えている、と著者は言います。そのような感覚は昔からあるけれど、今の時代の特徴は、深くは知らない他者を根拠もなく嘲笑することによって、これまた根拠のない優越感を抱くところ、なのだそう。このような感覚が肥大する背景には、IT世界の拡大が大きく影響していると指摘。顔も知らない相手になら、自分の優位性を簡単に信じられるから。そして、このような感覚を「仮想的有能感」と名づけています。






では、仮想的有能感の何がよくないのか。自分を肯定すること自体は悪くないのだけれど、肯定するに足る根拠が何もないところが問題。他者への共感や思いやりの心が育っていかないことが問題。お互いを認めずに足を引っ張り合うような社会は、効率性が悪く、心理的にも潤いのない貧しい社会だと。そして仮想的有能感に支配されないための鍵として「しつけの回復」「自尊感情の強化」「感情交流ができる場」の3つを挙げています。
ふむふむ。

 


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不運な女─リチャード・ブローティガン(藤本和子訳)






著名な作家の評なので、「ああそうか」と、真に受けて読んだけど、ぜんぜん「ああ、そうか」じゃなかった。
とてもプライベートな感覚であり、同じ境地に立つ人も多いかもしれないが、はっきり言って、よくわからない。同じ感性を持っているかもしれない証拠には、紹介されるエピソードにうなずく事実。感性を異にしているという感覚の証拠には、同じ行為を見てもそんなふうに感じたことがない事実。
小さく切り取られたエピソードが、最後まで語られることのない「ある女性の不運」についてを鮮明に読者に印象付けているのだとしても、読んだあとに残る不安や空しさは、どこへ持っていって処理したらいいのと思う。

 


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2006年03月11日

ブラックバードを聴きながら ─ ジェニファー・ラウク(日向るみ子訳)






病気がちの母親を7歳で亡くし、父親が再婚。新しい家族に馴染めないまま、3年後には父も亡くなる。継母に引き取られるが面倒を見てもらえず、追い出され…。著者自身の5歳から12歳までの体験をつづった物語。登場してくる大人はみなろくでもない人ばかり。少女に優しく接する人たちさえ、少女を窮地から救うことができない。でも自分が、その登場してくる大人の立場だったとき、何ができるだろう。結局、今の世の中、大人もどこかで成長を止めたままでいるような気がする。──というようなことを考えさせられた1冊でした。『事実は小説より奇なり』の言葉どおり、波乱万丈のストーリーに引き込まれ、ぐいぐい読み終わった。

 


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2006年03月06日

草の巣 ─ 角田光代






バイト先の店に来る、まったくしゃべらない男。ある日、家を作っていることをぼそっと打ち明けられ、「見に連れてってやる」と誘われる。男の車に乗り込み、拾った家具を並べただけの、屋根も壁もない「家」を見に行く──スコップで湿った砂地をざくざくと掘り返すような、そんな小説でした。行くつもりもなかったのに、男の車に乗り込んで、来る日も来る日も車に揺られ、男と心が触れ合うこともない。読んでいると強烈に寂しい気持ちになります。
もう1篇の「夜かかる虹」は、姉妹の確執の物語。後から産まれてきて両親や周囲の愛を奪っていった妹を、姉は心の底で疎ましく思います。両親の見ていないところで、それと気づかれないように妹をいじめるその快感。姉が自分を憎んでいることに気づき、姉の一番大切なものを奪っていく妹。すさまじくて逞しくて、切なくなります。

 


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2006年03月03日

東京日記 卵一個分のお祝い。─ 川上弘美







雑誌「東京人」に連載された日記をまとめたもの。日記のすべてのタイトルに「。」がついているのが印象的。短い文章でつづられているけれど、情景が目に浮かぶ。上手な文章だなあと感心します。この人の文章は、言葉の響きがきれい。「銀座のてんぷら」とか「ふるふると、煮凝りはふるえるばかり」とか。頭の中に読んだ文字がこだまするような感じです。

 





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